ちりめん本紹介

 ちりめん本と呼ばれる本がある。それは、幾度も揉んだり、伸ばしたりすることによって、縮緬布に似た質感を与えられた和紙であるちりめん紙の上に、欧文と挿絵を印刷した和綴じ本の通称である。手にとって一枚めくってみれば分かるその特殊な質感は平紙版の本には決してないものである。ちりめん本は明治期の日本で初めて作られ、その柔らかで重厚な感触とそれらに刷られたエキゾチックな日本画の美しさは、外国人に非常に好まれ、国内外にわたって広く頒布された。

 そのちりめん本を最初に考案し、出版したのが、長谷川武次郎(1853-1938)である。長谷川武次郎は嘉永6年(1853)に日本橋の西宮家に生まれ、25歳から母方の長谷川姓を名乗るようになる。クリストファー・カロザースのミッションスクール(後の明治学院)やウィリアム・ホイットニー校長時代の銀座の商法講習所(後の一橋高商)に通ったことから、在日宣教師、知識人、外交官等との交友を広げ、国際的感覚を養った。明治17年(1884)に長谷川弘文社として出版活動を始め、明治18年(1885)からちりめん本の中でも最も有名なJapanese fairytale seriesの刊行を始める。これがちりめん本の流通の始まりである。当初ちりめん本は、「童蒙に洋語を習熟せしむるため」という絵入自由新聞での広告文にもあるように、日本国内の人々、特に子どもの語学教育のため、というのがその販売の第一義であったようだが、その意図からは外れて、外国人の日本滞在の土産物として重宝された。

 このJapanese fairy tale seriesはちりめん本の代名詞といってもよい存在で、内容は日本の昔噺が外国語訳されたものである。古書取引では、大抵はno.1からno.20の20冊1セットとして扱われている。厳密に言うと、no.16には「鉢かづき」と「文福茶釜」の2種類があるため、21冊となる。訳者にB.H.Chamberlainの名もあり、シリーズのほとんどの挿絵を担当した小林永濯の挿絵の美しさもあってか、今やJapanese fairy tale seriesイコールちりめん本と捉えられているというのが実際である。

 しかし、ちりめん本として出版されているのはこのシリーズだけではない。Japanese fairy tale seriesも含めて、長谷川弘文社だけでも確認されているだけで170種類以上のちりめん本が存在するという。何故、そうしたことがあまり知られていないか。それはちりめん本紹介というと、大抵の場合Japanese fairy tale seriesが取り上げられてきたため、他のちりめん本の存在がほとんど明るみに出てこなかったからである。

 そこで、今回の電子展示では、Japanese fairy tale seriesの21冊以外で本学が所蔵するちりめん本の一部を公開することとした。また、ちりめん本というと、Japanese fairy tale seriesを刊行した長谷川弘文社の存在があまりに大きいため、他の出版社から出ているものがあまり取り上げられてこなかった。よって、長谷川弘文社以外から刊行されたちりめん本も取り上げることとした。

 公開に際して、長谷川弘文社からは、文は日本初の女性宣教師であるMary KidderのパートナーのEdward Rothesay Miller、絵は小林永濯が手がけた、約100ページからなるちりめん本でも屈指の大作であるPrincess Splendor(かぐや姫)と、The children's JapanやThe months of Japanese ladiesといった日本風俗の紹介本5冊を取り上げた。また、長谷川弘文社刊以外のものとしては、絵ではなく写真が印刷されたIllustrations of Japanese lifeと日本人が英文と挿絵の両方を担当しているThe Soshi-Bushiを取り上げた。

 これら今回公開するちりめん本資料によって、しっとりとしたちりめん紙の風合いと、日本画の挿絵やその挿絵を囲む欧文とで形作られたちりめん本の醸しだす、邦文のそれとは違う、しかし、ノスタルジーには違いない懐かしい温かみを感じていただければ幸いである。

<参考文献>
石澤小枝子『ちりめん本のすべて : 明治の欧文挿絵本』三弥井書店, 2004
瀬田貞ニ『落穂ひろい : 日本の子どもの文化をめぐる人びと』上下巻, 福音館書店, 1982